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【乱闘動画】サッカー日韓戦“激闘の歴史” 好ゲームもあれば「猿まね」「独島メッセージ」の問題も… 

【観覧注意動画】https://youtu.be/qFREPr4VtKU

サッカーのE‐1選手権(旧東アジア選手権)はあす16日に最終日を迎える。2連勝で首位の日本は、1勝1分けの韓国と対戦。首位の日本は勝つか引き分ければ、前身大会を含めて2大会ぶり2度目の優勝が決まり、韓国は勝てば逆転で2大会連続4度目の優勝となる。そんな日韓の激闘史を振り返ってみた。

 両国の激突で日本にとって忘れられないのが1967年のメキシコ五輪アジア地区予選だ。日本開催のセントラル方式で行われた大会には韓国、台湾、フィリピン、南ベトナムレバノンの6カ国が参加。1回戦総当たりのリーグで、五輪には1チームしか行けないレギュレーションだった。

 日韓両国とも3戦全勝で迎えた直接対決は、前半で日本が宮本輝紀杉山隆一のゴールで2-0とリードしたものの、後半に2点を返され同点に追いつかれる。エースの釜本邦茂が決めて再び勝ち越したが、粘る韓国も追いつき3-3で試合はタイムアップを迎えようとしていた。

 韓国はラストプレーで3点目を決めた金基福が30メートルのロングシュートを放つ。セービングしたGK横山謙三の手も届かず頭上を越えたシュートは、クロスバーを直撃したものの、ゴールに吸い込まれることはなかった。

 そして同勝ち点で迎えた最終戦、韓国の相手は日本が15-0で圧勝したフィリピン。大量点の欲しい韓国は「18点を取る」と公言したものの、これがフィリピンのプライドを傷つけた。FWひとりを残して全員がペナルティーエリアを固め、韓国の猛攻を5点でしのいだ。この結果、日本は得失点差で韓国を上回り、メキシコ五輪でアジア初の銅メダルにつなげたのだった。

 日韓両国が強化のために定期戦を開催したのは1972年のこと。ホーム&アウェーで1991年まで15回続いた大会は、日本の3勝2分け10敗で幕を閉じた。この大会で忘れられないのが1974年に国立競技場で開催された第3回大会だ。吉村大志郎ネルソン吉村から帰化)や森孝慈(いずれも故人)が精力的に動いて韓国を圧倒。釜本や吉村のゴールなどで4-1の大勝を飾った。日本が韓国に勝ったのは1959年のローマ五輪予選以来15年ぶり(14試合目)の快挙だった。

今でこそ日韓は良きライバルとして切磋琢磨しているが、Jリーグ誕生以前は韓国が戦績で圧倒的にリードしていた。特に、アウェーは日本にとって鬼門だった。そんな「負の歴史」にピリオドを打ったのが1982年にインド・ニューデリーで行われたアジア競技大会だ。グループリーグ初戦で難敵イランを木村和司のゴールで1-0と下した日本は、第3戦で韓国と激突。先制点を許したものの、原博実(現Jリーグ副チェアマン)のゴールで同点に追いつくと、風間八宏(現名古屋監督)のドリブル突破から岡田武史(元日本代表監督)のロングシュートで2-1の逆転勝利を収めた。

 これが国外での韓国戦初勝利で、グループリーグで敗退した韓国の金正男監督は日本戦の敗北により更迭される。しかし金監督は1985年のメキシコW杯予選決勝で森監督に雪辱を果たしており、両者の不思議な縁を感じる。

 そして、日本が韓国の地で初勝利を挙げたのが、1984年の第12回日韓定期戦だった。ソウル五輪のメインスタジアムである蚕室のこけら落としとして行われた試合。韓国は崔淳鎬ら若手主体のメンバーだったが、日本は木村の直接FKと、原が頭で落としたボールを水沼貴史が鮮やかなボレーで決めて2-1の勝利を収める。これが記念すべき敵地での初勝利だった。

 その後もメキシコW杯予選やドーハの悲劇ロンドン五輪3位決定戦など、さまざまなドラマを生み出してきた日韓戦。2015年の東アジアカップまで両国は77回対戦し、日本の14勝23分け40敗といまだリードを許しているが、93年のJリーグ発足以降は日本の7勝10分け(PK戦は3勝1敗)7敗と互角の勝負を演じている。

 これは個人的な印象ではあるが、1990年代の韓国はたとえ日本に負けたとしても「上から目線」だったような気がする。1997年のフランスW杯予選では、早々と予選突破を決めたレッドデビルズ(韓国サポーター)がホームの試合で日本に「一緒にW杯へ行こう」という横断幕を掲げていた。

 しかし両国の政治的な対立も相まって、2011年のアジアカップ準決勝では奇誠庸がPKからゴールを決めるとテレビカメラに向かって日本人を侮辱する「猿」の物まねをした。2012年のロンドン五輪3位決定戦では、試合後に朴鍾佑が太極旗と一緒に「独島(竹島)は我々の領土」とハングルで書かれたメッセージを掲げ、IOC国際オリンピック委員会)とFIFA国際サッカー連盟)からペナルティーを受けた。

極め付きは2013年の東アジアカップで、最終日の日本戦で試合前に「歴史を忘れた民族に未来はない」という横断幕をバックスタンドのゴール裏付近に掲げる。さらにゴール裏では安重根(初代韓国統監の伊藤博文を暗殺)と、李舜臣豊臣秀吉軍を撃退した朝鮮水軍の将軍)のふたりを描いた巨大な肖像画が韓国のゴール裏を覆い尽くした。

 奇誠庸が前述のパフォーマンスをした2011年のアジアカップ準決勝ではPK戦で韓国を破り、その後オーストラリアも撃破して日本が優勝した。同年8月も日本は札幌で韓国と対戦し、香川真司の2ゴールと本田圭佑の1ゴールで3-0と完勝した。3点差の勝利は1974年の第3回定期戦以来37年ぶりの快挙でもある。そして、この連勝により韓国は「上から目線」の余裕がなくなり、日本を「対等のライバル」と認めざるをえなくなったのではないだろうか。その悔しさの表れが「サッカー以外の行為=政治的なメッセージ」になったのだと推測している。

 こうして過去にはさまざまなドラマのあった日韓戦。16日の試合は国内組にとってロシア行きをかけたサバイバルの場でもあるが、勝敗だけでなく、意地と意地のぶつかり合う白熱した好ゲームを期待したい。

 

 

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